会話の間を埋めたくなる、沈黙恐怖症。
人とのコミュニケーションにおいて、私は沈黙恐怖症を克服したいです。
自分で自分をフォローしてしまう
お客様とお話をするとき、
会話の間を埋めるべく矢継ぎ早に喋ってしまいます。
対面でも電話でも同じですが、表情が見えない分、
電話の方がその傾向は強いです。
相手から質問される。
私、答える。
……。
相手に説明をする。
相手がうなづきながら聞く。
……。
この『……』は相手が思考する時間です。
それを待てないのです。
沈黙=相手に伝わっていないと思って焦り、
説明を追加するようにペラペラ喋ったり、
最初に答えた回答ではない、例外について説明したり。
自分の発言を自分でフォローしているのですね。
突っ込まれないよう、わからないよと言われないように。
自分を守る思いから、間を埋めています。
それがわかっていながら、間に耐えられない。
会話のベテランに学ぶ
人生の大先輩の会話は、さすがです。
ベテラン税理士の対応に同席させてもらっていると、
まったく相手を急がせない、自身も焦っていない、
余裕たっぷりの『間』があります。
隣にいる私の方が、え、まだ喋らなくて大丈夫かな、と
余計な心配をしてどきどきしてしまうことも。
その心配はまったくの杞憂です。
時間はたっぷりありますよ。
こちらからのくどくどした説明は抜きにして、
あなたのお話をなんでもどうぞ。
そういう空気を作って、
相手のしゃべりたい気持ちを自然と引き出しています。
面談が終わった後は、
「なんだか余計な雑談話ばかりしてごめんなさい」
とお相手は言います。
その表情からは、話せて良かったという安心が見えます。
プライベートで色々相談をする方も、同じく。
話をせかされている感じがまったくしないです。
自分がうまく言葉を探せなくても、
それも全部わかっています、大丈夫ですと、
言葉はなくてもそういう空気を作ってくれます。
それでいて、ずっと黙って待っているわけではなく、
的確なタイミングで「こういうこと?」と助けてくれる。
私のペースに合わせているようで、実はしっかり会話の手綱を握っている。
そんなイメージです。その手綱さばきが見事で、会話が心地よいのです。
間は、懐の深さと、強さと、優しさだなと思います。
自分の都合ではなく、相手の都合を100%考えられることです。
自分が間違えたくない。
自分の印象を悪くしたくない。
自分の用意したことを全部言いたい。
間を恐れる私は、このように欲に満ちています。
それでも、自覚をしていたら悪い癖を直していけるだろう、
という希望は持っています。
自分の話はシンプルに、早めに句点をうつ
思えば、間を恐れるあまり、
間が空く前に話をどんどん追加しています。
自分の話を止めても間ができないかもしれないのに、
とにかく自分の喋りをやめない。
こうして客観的分析をすると、
ちょっと、いやかなり迷惑な人ですね。
自分の話がうまく切れない、長くなってしまう原因は、
間が怖いのはもちろんですが、
自分の話がシンプルではないのもあるなと思います。
ですので対策として、
会話の自分のターンをシンプルにする。
そして、句点をはやめにうつ。
ということを心がけています。
これは日頃から思考をシンプルにしておく必要があります。
誰かとの会話だけにかぎらず、自分の頭の中だけで考えるときも、
自分の行動を決めるときも。そして文章を書くときも。
公開しているブログにしろ、プライベートの日記にしろ、
読む人が「長っ!」とならない端的な文章で書く。
文章表現のうまい人なら、どんなに黒々と長文を書いても、
1つの段落が長くても、読み手は「長っ!」とはならず
面白く読めます。
しかしそうではない場合、読み手が息を吸える間や、
すっと理解できるシンプルさが必要です。
そして、日頃から自分のフォローや言い訳に走らない。
仕事においては、間違った見解を伝えてしまうことは
避けなければいけません。
そのための準備や学びはしっかりとしたうえで、
いざ伝えるときには、潔く。
自分がケガをしないようにあれこれ注釈をつけるのは、
お客様にとっては混乱のもとになります。
フォローや注釈がお客様のためだったら良いのですが。
これからも、友人との会話、家族との会話、仕事での会話において
鍛錬を重ねていきます。
話したいことを安心して十分話せた、と思っていただけるように、
間を恐れず、間を味方につけた会話を目指します。
【編集後記】
別の税理士さんから引き継いだ法人の決算(2回目)。
あらためて、税理士によって申告書の作り方、
表現はまったく違うのだなと感じます。