人生におけるタイミングについて

人生の決断のタイミング 遅すぎることはない 生き方
畑デビューを待つカボチャの苗

野菜の種まきや苗の植えつけにおいて、タイミング(時期)は重要です。
人生における種まきや苗の定植時期はどうでしょうか。

ベストな時期はあれど、予定通りにはいかない

畑で野菜を育てるとき、予定通りいかないことはあります。
予定していた時期に、数日間雨が降っていて畑に出られなかったり、
(やんでもしばらくはぬかるんでいて作業ができない)
あるいは予想外に気温が低く苗が思うように育たない、
病害虫、害獣の被害、など。
種まき、苗の定植、土寄せなど、タイミングが遅すぎても早すぎても、
その後の作物の生長に影響します。

人生においても、タイミングは大切です。
大切だけれど、お天道様の影響を受ける農業と同じで、
人生における行動や決断の時期も、あまりコントロールできない
のではないか、と私は思いました。

もしも○○○だったら、の世界はあるのか

もっと早く取り組んでいれば。
あのとき、決断していたら。

自分の人生において、そう思いたくなることはあります。
遅かったと思うことも、あるいは早すぎたと思うことも。
でも、そういう「もしも」の世界線は本当にあるのかどうか。
自分がベストともうタイミングで行動や決断ができていたら、
もっと違う(より良い)「今」があったのか。

たぶん、ないような気がします。
そのベストだったと思う方のタイミングで生きられた「もしも」の
世界にいたとしても、なにか別のことで、
(ああ、あのとき~~していたらなあ)と悔やむのかなと。

そして、タイミングを悔いる気持ちがおきても、
ふと冷静に考えると、ほとんどのことは
「とはいえ、あれが私にとってのベストタイミングだったな」
というところに私は落ち着きます。

後からはなんとでも言えるけれど、当時は自分なりに必死に生きていて、
その中で何かを決断してたのだから、もっと早くとか、もっといい時期に
なんていうコントロールはできなかったはずです。
これは自己肯定なのか、自分に甘いのか、よくわかりませんが。

もちろん、人に対してもそう思います。
むしろ人に対しての方が、当人にしかわからないことがたくさんあるので、
あれこれ偉そうに言えないなと思います。

ベストの時期だった、という前提で生きる

畑を耕さず、種もまかず、何も育てずに生きていたら、
タイミングがどうとか後悔するこはないです。
種をまきたいな~と考えているだけでまかなかったら、
失敗もないけれど、1個の実さえ収穫がない。

何かを”しない”という選択も一つの決断なので、
行動がすべてとは言えません。
ただ、タイミングが遅かったと後悔するのではなく、
自分のベストのタイミングで行動したという前提で、
そこからどう育てるかを考えて行きたいです。

もし全滅して種のまき直しになっても、収穫できることを信じて、
もう1回、2回、3回、実行する。
今年の夏失敗したら、来年の夏にまた挑戦する。
なかなかハードではあるけれど、それが自分らしいなと思います。

もちろん、どう考えてもタイミングが遅すぎる(育たない、収穫ができない)
ということが人生にないわけではありません。

でも、もしも種をまいて、そこから育つ可能性のであれば、
それが私にとって種をまくべき時期だったのだと思います。
そして、周りの成長や実りの大きさに惑わされず、
しっかり育てていきたいです。

【編集後記】
最近のお気に入り手作りドリンク。
アミノ酸+ビタミンCでオリジナルスポーツドリンク。
組み合わせの効果効能はよくわからないけれど、
味が好きです。

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