一度解放されたタガを締め直すのは難しいもの。
誰かの作ったルール(船)で生きるか、自分の船を作るか。
自分の船を作るのは大変ですが、覚悟と不安と共に旅に出たい。
溢れる寸前でタガが外れててしまう危険
組織の中では、その組織のルール、規範に従わなければなりません。
組織のリーダーの考え方。
組織のルール。
組織の伝統。
などなど。
組織のルールに従いつつも、もしも自分だったらこう判断する、という視点を
持ち、自分の答え(仮説)を持つことは、良いことだと思います。
組織の考えに、ちょっと違うかなと思ったり、疑問を抱いても、それはそれと
して沿える範囲で、「別途」自分の仮説を持つ。
常日頃、そういう視点を持てる人の方は、組織に属しつつも、自分の軸を
バランスよく育てていけるかと思います。
組織の中での疑問や違和感を、感じた都度整理せず、なかったことにしてしまうと、
いつか反動がきます。あるとき突然、なにかのきっかけで、ばーんとはじける。
自我の目覚めではないですが、自分が見て見ぬふりをしてきた本心と向き合わざる
をえなくなったとき、実は積もり積もっていた気持ちが、解放されてしまう。
まさにタガが外れた状態になってしまいます。
疑問や違和感を小出しにして検証して収めていた場合と違い、そのはじけ方は
危険をはらんでいます。
戻せないくらいタガが破損してしまう
小さな疑問を抱いた自分にきちんと向き合って、整理する。
ということをしなかったから、コップの水がもうなみなみあふれる寸前。
なにかのきっかけで、「私はこれが納得できなかったんだ」ということを
見つめてしまうと、もうそこから先、まあまあこれはこれとして従って
いこうと思えなくなってしまうのです。
タガを締め直して、組織の一員として整然と足並みを揃えることが難しく
なります。
そういう体験をしました。
人は、言葉にしてしゃべったり、書いたりして、自分の気持ちがわかります。
自分はこう感じていたんだ、こう思っていたんだと、記憶されます。
言葉にしないで心の中で思っているだけだと、記憶に残らず流れてしまったり、
あるいは感じなかったことにしてしまう場合もあります。
ある時、気持ちを文章に書き、人にも話した時、なかったことにして、納屋に
ぎゅうぎゅうと整理もせず押し込めていた気持ちが明るみに出てしまった。
明るみにやっと出せた、とも言えます。ポジティブに考えれば。
もうその気持ちは、納屋(心の奥)にそって戻してしまうことができない量に
なっていた。
外れたタガが、もう戻せない。という状態です。
それからというもの、自分の本心をうまくしまえなくなってしまいました。
これは、良いことでもあり、悪いことでもあります。
自分がどう生きたいのか、どう働きたいのかに向き合うことができる。良いこと。
組織の中で働くことが辛くなる、ときには迷惑をかけてしまう。悪いこと。
覚悟と不安と3人連れの旅へ出る勇気
組織に属している限り、言いたい放題・マイルールで動くことはあっては
ならないです。自分の基準で動きたければ、経営者・自営業者となること。
最終的な決断を下すためのルール作りをする、その責任を追う、というのは
とてつもない覚悟が必要です。
経営者の孤独や厳しさは、そこに立たなければわからないことです。
少なくとも私は、まだわからない領域です。
だから、自分の”本心”も、たいそうに掲げて、ぶつけるのは違うかなと。
組織に属するのも、自分が経営者となるのも、どちらが良いというもの
ではありません。素晴らしい船頭がいて、素晴らしい乗組員がいる。
その船の行き先が自分の行きたい場所であれば、よい旅になります。
もし行き先が違う船に乗ってしまったら。
もし自分の希望する行き先の船がなかったら。
乗るべき船を見つけるか、あるいは作るか。
船の乗り換えも、自分が船頭となるも、船を作るも。
大きな覚悟と不安が伴います。
覚悟と不安の先に、タガで締め付けられない世界があるはず。
もし、この外れたタガを戻せない(戻さない)のなら、覚悟と不安を、
自分の人生の”お供”とする決断をしなくてはなりません。
そんな新しい旅へ出る勇気が、私には必要です。
【編集後記】
担当している法人の、連絡窓口となる方がこれまでと
変わりました。今回の相談案件のみの窓口となる変更ですが、
人が変われば、連絡手段やスピードがまったく変わるなと
感じます。自分自身は、窓口としてお客様にどういう印象を
持たれているか、快適な窓口となれているか、それを振り返る
機会にもなりました。