疲れをとるために休むのではなく、常にオンでいられる心身を作りたい。
そのためには、使い切る前に(元気なうちに)きちんと自分のケアを。
自立した人は、さくっとからっと休む
悲壮感なく、さくっと自ら休める(自分を労われる)人って
かっこいいなと思います。
私にとっての自立した大人の定義の一つが、「心配させない人」。
自立していて、優しい人は、周りの人に心配をさせません。
素敵だなとあこがれ、尊敬する人を思い浮かべると、
みな安定したエネルギーを保っていて、基本的に心配とは無縁です。
無理して頑張ることをまったく美徳としていません。
それでいて、”ここぞ”という場面では、無理がきく。
その無理にも痛々しさはない。
ここぞを乗り切ったら、何事もなかったかのように通常運転に戻る。
うーん、かっこいい。人として惚れてしまいます。
無理して頑張る厳しさではなくて、
頑張り過ぎないでいるための厳しさがあるのだと感じています。
勤め人であれば、やるべきことを終わらせて定時を守る厳しさがある。
自分を無理させないため(周りの人にも優しくあるため)に、
自分に厳しく律しているのだろうと。
軽やかに生きるためには、強靭な筋肉がいるというか。
カラカラに乾いた土には、水がしみこみにくい
表面がカチカチ。ひどいときにはひび割れた状態の畑。
そこに水を勢いよくかけても、奥深くまでしみこみません。
表面を少し濡らして、脇へ流れていってしまいます。
人も、カラカラ、かぴかぴ、カチコチ、になってからでは、
いくらまとめて水をやっても、しみこまないです。
お天道様は、コントロールができないです。
程よく雨が降り、程よく日が照る。そうはいきません。
人間にも、不可抗力、自分のコントロールできない要素もありますが、
お天道様よりは、自分でコントロールできるので、
コントロール(自己管理)したいものです。
しかし……疲れ果て、疲弊していて、乾燥しきってしまい、
大丈夫?水をやった方がいいのでは?と周りに言われて(思われて)
しまうことがよくあります。
周りの人に、『心配』という負荷をかけてしまうのです。
もちろん、誰にも心配させてはいけない、ということではないです。
ピンチのとき、辛いときはSOSを出して、助けてもらえる人間関係がある
ことはとても大事です。
助け合えるお互い様の関係、そういうコミュニティを持っていること。
基本は、自分がエンプティになる前に自分できちんと補給をすること。
その両方が必要かなと思います。自戒の念を込めて、書いています。
降っているのがわからない、しとしとと降る雨のように
完全に休んでます!オフです!というのではなく、
畑にしっとりとしみこむ、雨のように。
目を凝らすと、あ、降ってるんだと気づくような雨。
でも、土にはしっかりとしみこみ、潤っている。
そして、また成長するために太陽の光が注ぐ。
自分自身が成長できる、適切な太陽と雨。
ひとまずは、自分でまかなえる天候サイクルを作りたいところです。
最後に。
ここまで適切に、元気なうちに休むと書いてきましたが、
実は『休む』はあまり使いたくない言葉です。オン・オフという言葉も。
目指すは、休む必要のない生き方。
『休む』の代わり、走る/旅に行く/小説を読む/笑う/眠るといった
自分が元気になる具体的な行動(言葉)がいいですね。
元気なうちに、寝る。元気なうちに、旅に行く。
うん、しっくりきました。
【編集後記】
今日は登記関係の書類を作成。
郵送での提出のため、押印が必要な箇所があります。
はやく押印ゼロにしたいな、とひしひし思います。
あ、趣味の印鑑=ハガキや手紙、書に押す篆刻は良い!なくしません。