私がフルマラソンを走る理由

フルマラソン 津山加茂郷フルマラソン大会 マラトンとメンタル メンタル
5年ぶりにフルマラソンを走りました。

津山加茂郷フルマラソン大会に出場しました。
2019年以来、5年ぶりのフルマラソン。
無事、制限時間内に完走できました。

フルマラソンは趣味ではないが11回出場

地元岡山県で開催された「第31回津山加茂郷フルマラソン全国大会」
に出場しました。フルマラソンを走るのは5年ぶり、11回目です。
今回は練習らしい練習をきちんとできなかったので、ゆっくりでいいので
歩かず時間内(6時間)に完走、を目標としました。

結果は5時間34分。計画通りの走りができました。
無理して飛ばせるほどの脚力はついていなかったため、どう頑張っても
かなりゆっくり(時速7.5~8キロ)でしか走れない。それが功を奏しました。
「これ以上速く走れない」から一定のペースで走れたなと。

もちろん、後半は脚が棒になり腿が上がらない状態にはなりましたが、
痛くて歩いてしまうということはなかったです。
また、曇りときどき霧雨、気温も最高で20度ほどという天候も、走りに
味方してくれました。

さて、私が初めてフルマラソンを走ったのが2010年。
そこから10年間、毎年この津山加茂郷フルマラソンを走っていました。
コロナでの大会中止、翌年は同時期に別のイベントが重なるなど、
気付けば5年のブランクとなりました。

「走ること、マラソンが趣味なんですか?(趣味なんですね!)」
フルマラソンを走っていますというと、そう言われます。
毎年走っていたらそう思われて当然だと思います。

答えは、「はい」でもあり「いいえ」でもあります。

フルマラソンが趣味の方は、全国の色々な大会に出場するかと思います。
しかし、私が走ったことがあるのは地元のこの大会だけ。年に1回。
ですので、「フルマラソン」が趣味というのとは、違うかなと思います。

走るのは好きです。フルマラソンの練習も本番も、楽しい。
といっても、毎日ランニングをしているわけではない。
マラソン練習として、ランニングや筋トレをするのは、大会前3か月ほどです。
(津山の大会は4月半ばなので、いつも1月半ばから練習を始める)
走ることは楽しいけれど、趣味か?といわれると、
いや、趣味といえるほど習慣的に走っていないしなあ……と。
身体を鍛える、体力をつけることは大切にしていますが、ジョギングを
毎日するということはないです(今のところ)。

では、趣味とは言えないフルマラソンをなぜ毎年のように走るのか。

年に一度、42.195キロで自分を確かめる

私は、人と競う競技が苦手です。
フルマラソンも、順位やタイムを(人と)競わなければならない状況だったら、
絶対に走っていません。

良い練習ができれば、もちろんタイムは良くなります。
これまでの出場記録を思い返しても、計画通り練習ができた年は速い(自己比)。
できなかった年は遅い。
練習量が少ない理由は、ケガをした年もあれば、受験期であえて練習時間を抑えた
こともあります。

いずれにしても、タイムはあくまでも練習の結果としてあるだけで、記録を更新する、
ということは一切の目標とはしていません。
(タイムが目標であれば、3か月間だけの練習ということはありえないと思うので)

目標は、完走。完走できる身体と心を作ること。

フルマラソンは自分の心身とがっぷりよつで向き合える場です。
私のように自己記録更新も、他者との競争も考えていないとなると、
もう向き合うのは自分の身体と心しかありません。

フルマラソン 完走するために

フルマラソンは、練習をすれば多くの人が走れる距離ではありますが、
誰もが楽々と走れる距離でもない、と思います。
それを走るとなると、否が応でも身体も心の状態をはっきりと知ることができます。
自分の体験でいうと、特にメンタルが身体の状態に直結します。
弱気になったり、慢心したり、あるいは欲が出ると、練習の時に脚を痛めます。
本番でも痛い目を見ます。
42キロとなると、練習や本番でいやでも裸の自分が見えます。

楽をしない。けれど無理もしない。
42キロを恐れない。でも舐めてかからない。
競争心や、見栄で走らない。
過信はしないが、走れると自分を信じる。

運動神経はまあ、ないに等しい私です。
球技なんてさせた日にはもう惨憺たるものです。
10代のころ運動部で鍛えた、という経験もありません。
先に書いたように、一年中身体を鍛えるトレーニングをしているわけでもありません。
ですので、本当に身体と心を絶妙なバランスで鍛え、本番までの練習を重ねていくことが、
完走の秘訣かと思います。

これまでのタイムでいうと、速い時で4時間半~5時間、遅い時は5時間半~6時間ぎりぎり
という感じです。まあ本当に走る速さをどうこう語れるランナーではないのですが、
ただただ、ケガをしない、歩かない(ゆっくりでも走る)、完走する、という目標で、
身体と心を作るということをしてきました。それは成功しているかなと思います。

年に一度のフルマラソンを通して、一定の心身の状態に整える。自分を確かめる。
自分にとっては、欠かせない自分を知り自分を鍛える「習慣」なのかもしれません。
(といって、この5年間は走らなかったわけですが……)

尺度は自分で作っていい、自分で作るしかない

津山加茂郷の大会は、新緑と清流の里というコピーのとおり山の中を走るコースで、
緑の濃淡の景色と空気が気持ちが良いコースです。
折り返しの標高の高いところでは、年によっては4月半ばで桜が満開です。
この大会は山岳マラソンと言われていて、高低差が大きい(標高差280メートル)のが
特徴です。
しかし、地元で練習をしていると周りには坂道がたくさんあり、自然とアップダウンの
ある道を走ることもあり、本番ではさほど登坂を走っているとは感じません。

他の大会を走ったことがないので想像にすぎないのですが、
私はきっと、都心の(山ではない)平坦なコースの大会は変化がなくて苦手だろうな
と思います。飽きてしまい、長時間走る気力が続かないような気がします。
練習でも、平坦かつ一本道は好きではありません。
高低差があるより平坦なほうが身体は楽なはずですが、精神的にきついです。

人にとってハードなことも、自分にとっては日常になっていたり。
人にとって簡易な道も、自分にとっては苦難の道だったり。

マラソンに限らず、感じ方や尺度は本当に自分だけのものだなと思います。
他の人の尺度は参考にはなっても、それだけで判断してはいけないし、ときには
あえて参考にしないと割り切る必要もあります。

「津山加茂郷フルマラソンは高低差がありハードなコースだ」
という話は初出場の前に聞いてはいたけれど、それを理由にやめようとは
思わなかったし、走れるかどうかの基準にはしていませんでした。
結果的に初めてのフルマラソンとして私はとても気持ち良く走れて、
今ではこの大会が私のマラソンのスタンダードになっています。
ハードだけど、私にとっては走りやすい最高のコースである、と。

もちろん、この気持ちも今の私の尺度にすぎません。
もしもこの先他の大会を走ることがあったら、先入観なくフラットな気持ちで走り、
また新しい尺度になるのだと思います。

一般的な評価、なんてものは実はないのかもしれませんね。
なにか新しいことをはじめるにしても、他の人の評価や尺度を自分に当てはめて、
尻込みしたり、反対に楽観視しないほうが、うまくいくと思います。

フルマラソンは、こうして自分に色々なことを教えてくれます。
5年ぶりに走って、やはりいいものだと改めて感じました。

自分の人生の尺度を作るのは、あくまでも自分。
自分の体験、経験から作るしかないし、それで良いのだ。
忘れないようにしたいです。

 

【編集後記】
マラソンつながりで。
今日も、やたらお腹がすいていました。
やはりマラソンで使ったエネルギーは、1,2食ではリカバリー
できないのかも。走ると食事がいつも以上に美味しくなるのも
良いですね。

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