春を愛せない私は

ムスカリ 春の雪 生き方
春のムスカリに冬化粧
3月の雪

春分の日の翌日の冬景色

よもぎ餅をいただいて春を感じた翌日の、真冬の景色。
私は、寒いのは嫌いではありません。
春のぽかぽか陽気は落ち着かず、真冬の寒さにほっとします。

春を愛せない人は……

春が来ると、そわそわします。
あまりポジティブではないそわそわ感です。

周りが新しい生活へと歩み出しているのに、
はてさて自分は、相も変わらず同じ場所に留まっている。
なにかはじめなくては。でも、はじめられない。

寒さがゆるみ春の陽気を感じると、そんな焦りがわいてきます。
桜は美しいけれど、桜を喜べなかった。
10代、20代の頃は、特に春を愛せなかったです。
春が悪いのではなく(当然)、
そのときの自分の状況が春を愛せなくしていました。

高校を留年した春だったり。無職の春だったり。
引きこもっていた春だったり……。
まあ、春に限らず、常に焦っていたわけですが、
特に春は、取り戻せない遅れを感じたものです。

いまは、春への思いも変化しています。
春が来てしまったという絶望的な気持ちには、なりません。
相変わらず、そわそわとはしてしまいますが、そのそわそわ感を、
自分が動き出す原動力・理由にしてしまえ、という前向きな発想になっています。

春に好きなものが増えました。
岡山の桃の花が咲く景色。農閑期でしんとしていた田畑が動き出すこと。
春も悪くない。

真夏と真冬を愛する人は……

私はいわゆる過ごしやすい春や秋よりも、真冬・真夏が好きです。
走るときは、下り坂より上り坂が好き(注:上り坂が得なわけではない)。
追い風が吹くと逆に不安になる。順風満帆だと不安になる。

と、私のように順風満帆だと不安になる人は、少なからずいるのかなと
思うのですが、どうでしょうか?
それじゃあ逆境の極北のような厳しさが大好きなのかと問われたら、
さすがにそこまでの逆境好きとは言えませんが、
中辛くらいの逆境の方が、精神が安定しているかもしれません。

追い風は他力。
向かい風は自力。

そんな風に思っています。
幸運、良縁に恵まれて、自分の力以上の推進力で前に進むとき、
調子に乗って飛ばすと、追い風が止まった時、結構辛い。
良い方向へ運んでくれる他力を「いらん」とかたくなに拒否するわけでもない。
乗るべき風にはのって、でも調子乗らず、謙虚に。

向かい風が吹いたら、よしきたとギアを入れる。
風が吹いたって、前に進まないわけではない。
押し戻されるほどの強風なら、無理して走らず、現状維持を(現状維持も立派な前進)。

現実には、こんなかっこよくはいかなくて、
向かい風で足が止まりもうダメかもと思ったり、
追い風で調子に乗ってこけることも多いです。
(ここまで述べたことと矛盾するようですが、私は元来お調子者です。
だからこそ、戒めて”向かい風が好き”と表明しているのかも)

そういえば、税理士の受験生時代、模試で良い点数が出ると、
これは実力ではない!偶然だ!とやたら否定していたのを思い出します。
点数が少し悪いくらいがほっとしたという。

結論。どの季節も素晴らしい

寒かろうが暑かろうが、風がどこからふこうと、目的地を定めて動いているときは、
どの季節も素晴らしく、楽しめます。身もふたもない、ありきたりな結論ですね。

春をとことん愛せなかったときは、生きていることを愛せなかった。
周りと自分を比べて、『世間』の普通にのれないことに焦っていた。
自ら極寒に身を置いて、罰を受けるような気持ちだった時もありました。

いまは、自分が向かう方向が、遠くではありますが、見えています。
本当に、まだまだ遠いのですが。
ときどき、濃霧で見えなくなる時もあるのですが、目的地がなくなるわけではないです。
周りがどれだけのスピードで、どこに向かっていても、焦らず歩きましょう。

【編集後記】
ブログをはじめて、スマートフォンで写真を撮ることが増えました。
センスや技術はともかく、数を打って素材集めをしています。
ついつい、手近な食べ物、花や風景になってしまい、変化がない。
興味深い写真の撮り方や被写体を研究したい。

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