志を同じくする仲間。同志。
彼らの存在が人生には欠かせません。
同志は道標
生活の拠点や立場、職業、年齢が違っても、
価値観が同じ(近い)人、同志の存在は、
私にとって欠かせないものです。
あらためてそのことを感じた出来事がありました。
ある友人と、久しぶりにゆっくり話をしました。
彼女が最近進めている仕事について語ってくれました。
専門分野外の業務を託されていて、実に困難な様子。
しかし、彼女はそれが自分にとっても、会社にとっても必要な
ことであると考えて、必ずやりぬくという強い意志をもって
取り組んでいました。
元々、高い実務能力と強い精神力・粘りのある人で、
無理難題と思えることも、絶対に諦めないで切り開いて
いくタイプです。
今回も、諦める気はゼロで向かっていました。
「もーーーー大変なんだ」と言いながら、
彼女が確実にその難題を切り崩しているのを感じました。
その気概に、いい意味のショックを私は受けました。
最近の自分が、非常にふにゃふにゃだと思ったわけです。
彼女のような気概で、私も人生や仕事に向かわないといけない。
彼女の今の姿が、迷走気味の自分の道標になってくれました。
笑い飛ばせる関係のありがたさ
彼女とは、仕事内容は違うのですが、
それぞれの人生に起きた珍事件や失敗談、
そして自分の夢や野望(?)を、
いつもオープンに話せます。
「悲劇は喜劇」という言葉が私は好きなのですが、
彼女と話していると、まさにどんな失敗談も、ピンチも、
最後は笑い飛ばせてしまうのです。
笑い飛ばすといっても、冗談に逃げるのではなくて、
人生というのは、そもそも思い通りにならないことの連続なのだ
ということを冷静になって思えるから、笑えるのかなと。
ピンチの渦中にいるときは、そういうものだなんて落ち着いて
いられないけれど、そういう視点を忘れずに持っていることで、
大崩れしないでいられます。
真剣に、かつ腹を割って、良いこともダメなことも話せるのは、
やはり根本の生き方の部分が通じている同志だからです。
価値観や生きる方向が違う相手に、自分が直面しているシリアスな
問題や、抱えているトラブルは、話せないですよね。
真剣な話を深刻にならずカラっと話せる同志がいるのといないのとでは、
生きやすさがまったく違います。
自立して助け合う良い関係
同志は、
~~してあげる側と、~~してもらう側
という一方的な関係ではありません。
依存も、甘えもない(できない)、関係。
でも、相手に何かあったら駆けつけて助ける。
お互い様の関係です。
自立した者同士で、フォローや助け合いができる。
助けるといっても、直接的になにかしなくても、
しっかりと自分が生きることで助けることもできます。
今回彼女の姿から気付かされ、迷走から抜けようと
思えたように。
なにか成功をするという結果ではなく、
どういう気持ちで生きているかが、助けになります。
同志だからこそ、自分の初心を思い出させてくれます。
同志とは、基本的には並走する存在。
でも、ときにはどちらかが少し前を走り、
道標やペースメーカーになれる。
相手が背中を見せてくれるときもあれば、
私が見せることもある。
迷走していても、そこからどう抜けるか、その抜け方で、
同志の力になることができるかもしれない。
そう思うと、迷走もピンチもまた人生の糧にできます。
【編集後記】
出勤日。粛々と法人決算を進めました。
積ん読ではないけれど、今自分の中に観たい映画が
着々と積まれて行っています。