新しいこと、未経験のことに挑戦するとき、
それをやる理由が必然であれば、迷いなく向かえるのだろうというお話。
目的と手段
目的と手段を間違えてはいけない、と言います。
あるいは、目的と手段は固定されているものではなく、
ステップアップしていくと、目的が次の手段になっていく、とも。
いずれにしても、目的、目標、志、夢、というのは
手段を身に着けていくときの原動力となります。
それが長期的なものでも、短期的なものでも。
目標や目的がある、というのは手段を必然にするということ
かなと思います。
選択の余地がないという潔さ
手段が必然になると、選択の余地がなくなります。
やろうかな、どうしようか?できるかな?
という考えにならない。
それはやるべきこと、というように。
「やる」がスタート地点なので、
迷うことにエネルギーや時間を使わずに、
どうやってできるようになろうかと考え、
実験して、試行錯誤して、できるに至るまで続ける。
選択の余地がないというと、なにやら窮屈で苦しくなりそうですが、
それを救うのが、その先の目標や目的です。
遠い先の夢物語でもいい
これは色々な意見があると思うのですが、
私は目標や目的は、どこか夢物語でも良いと考えています。
希望を持てたり、わくわくしたり、
ともすると実現不可能と一蹴されそうなことでも。
自分の欲では頑張れないですが、
多くの人につながり、自分がもう生きていないであろう、
ウン十年後、自分の次の次の次の……世代の世界が、
いまより少しでも生きやすくなっていたらいいなという目標。
プラス、足元の一日一日、大切な人と充実したものになること。
遠い未来の目標も、足元の小さな目標も、
どちらも理想を抱いてもいいかなと。
為せば成る、それが必然であれば。
そう思うのは、周りに必然として潔く生きて実行している人がいるから。
為せば成るというのも、一人孤独に成していくのではなくて、
必然だからというまっすぐな気持ちでいたら、
同じく必然と思って同じ方向に向かう人と出会えます。
その仲間が一人でもいたら、大きな力になります。
話を根底から覆してしまうようですが、
もしも必然と思った手段をできなくても、
目的や目標への別ルートはあるとも思っています。
そこはやはり、目的と手段は分けて考えなくては、という所です。
手段だから、こだわらずすぱっと別ルートに行く。
別の必然にまた迷わず向かう。
そう思って、常に”できるかなー?”ではなくて、
必然なのかと自分に問うて、
必然ならば行動していこうと思います。
【編集後記】
法人のお客様に、決算の処理について提案とご相談。
こちらの決めつけで進めてはいけないと、あらためて反省。
動かない事実を提示して、フラットに相手のお話を聞く
ということを徹底したいです。