自主的にやるべきことを作っていく

自主的な生活 やるべきことを作っていく 会社を辞めたあとの生活 雑記
やるべきことは与えられないので、自分で作っていく。

「やるべきこと」に追われるのはしんどいですが、
「やるべきこと」があることに救われることもあります。

空白の一日

会社勤めをやめると、当然ながら一日の予定はフリーになります。
8時半までに出勤し、12時になったらお昼休憩。
夕方5時に終業。必要があれば残業。
自分で積極的に営業はしなくても、毎日やるべき仕事はある。
時期によっては山積みにある。
納期が決まった仕事に追われることもしばしば。
(これは自分の計画性のなさも起因していますが)

そういった毎日のスケジュールを埋めていたことがなくなります。

さて、今日はなにをしようか。
なにをしてもいいし、なにをしなくてもいい。
そういう一日が続きます。
もちろん、仕事がどんどん入れば、なにをしなくてもいい
というわけにはいかないのでしょうが、
現状の自分は、そんな状況です。
そしてその「したこと」「しなかったこと」は後々の自分に
返ってくるわけですが。

無職を経験したことはこれが初めてではないので、
仕事がないということには慣れています。
が、年齢や状況で、その空白に対する感じ方は変わります。

今はどうか。
まだ空白がはじまったばかりですが、やはり「何かしなくては」という
うっすらとした焦りはあります。

ブログという「やるべきこと」

会社員のときにあった、やるべきこと。
それは、追われるとつらいと感じることもあるのですが、
同時にありがたいものでもあります。
いわゆる飯のタネというか、お給料の元となる仕事が自動的に
与えられるという意味で。
その与えられることに前のめりになって楽しんだり、
楽しむまでいかなくても平常心でこなしていけたら、
問題はありません。
与えられ、それをしっかりとこなし、生活していける。

しかし、そのやるべきことが自分の能力やキャパシティーに対して
あまりに重責になっていくと、ありがたい側面をゼロにしてしまう
ものになります。

やるべきことは必要だけれど、程度によりますよね。

では、やるべきことがなにもないのはどうか。
これまた、人は贅沢なもので、なにか心もとなくなるというもの。

いま、私にはブログを書くというやるべきことがあります。
仕事ではないですが、これが、毎日の気持ちの助けになっています。
不思議なものです。
飯のタネになるわけでもなく、誰かからやりなさいと指示を受けた
わけでもなく、勝手に始めたブログです。
だから、純然たる意味でやるべきことではないです。
それでも、自分なりに決めたブログという習慣は、一日の中に役割として
存在しています。
いわば、自主的に作ったやるべきことです。

自主的なやるべきことを作っていく

ブログは、自分で決めたやるべきことだから、
自分で手綱を握っていると言えます。
そして、やるべきことがある、というのは今の自分を
救ってくれるなと思います。

ブログのように、自主的に日々やるべきことを作っていくことが、
自営的に生きていく一歩目なのかなと思います。
与えられたやるべきことに追われるのではなく、
自分でやるべきことを決めて、
いい塩梅で自分をコントロールする。

自分のコンディションや、生活の状況を考えて、
ときには自分で自分を追い(追われ)、
しかし追いすぎないように緩める。

やるべきことが、単純に収入につながるものもあれば、
そうではなく長期的な投資になるものもある。
完全なプライベートのこともある。
やるべきことが、自分の生きたい方向や、望む生き方に
つながるものである。
やるべき意味が自分で正しく理解できている。
単体で見たらやりたいことでなくても、
その先の効果が求めていることにつながるから、
つらくはない。

これはフリーランスの方、経営者の方にとっては当たり前の
ことなのかもしれませんが。

誰に承認をうける必要もなく、結果は100%自己責任。
どうなるかわからないけれど、自主的な「やるべきこと」を
小さく見つけていきたいなと思います。
新しいことはもちろんですが、これまで隙間時間にするものだった
ことも、やるべきことに格上げしていこうかなと。

【編集後記】
諸々の事務手続きに必要な書類を揃えました。
ブログも、昼食のついでに外で少し書きました。

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