食の好みは、年齢とともに変わってきています。私は最近、鰻がとても好きです。
人生において、私はこれが好きです(これが嫌いです)がはっきりあることは
とても大事ですよね。
エビとの別れ。鰻との出会い
子供のころから、30代前半まではエビが大好きでした。
お刺身の甘えび、エビフライ、エビの殻付きから揚げ、エビチリ。
ぷりぷりのエビ。美味しいですよね。
それなのに。あんなに好きだったエビを、いまは食べられません。
嫌いと簡単に言うには、付き合いが長いエビ。
ああ、なぜ私は彼(彼女)を受け付けなくなってしまったのか。
本当にある日突然、でした。アレルギーではないようです。
エビを”嫌い”と言ってしまうのが悲しいので、エビがメニューに
あるときは、こう告げます。
「私、もう一生分のエビを食べてしまったんです。
だから、エビは抜いていただけますでしょうか……?」
なんか、ただの面倒くさい人になっている感じもしますが。
出会いもあれば、別れもある。
大人になって、鰻が好きになりました。
昔は、小骨がちくちく引っかかるし、食感もちょっと苦手で、
鰻本体はいらず、タレご飯だけがよいという人でした。
それが気づけば鰻好きに。
なぜ今回このテーマにしたかというと、その理由も鰻にあります。
最近、とみに鰻が美味しくて仕方ない。
身体がその栄養素を欲しているのか、鰻を食べると、
「ああ、これこれ、これが食べたかったの」
五臓六腑に染み渡るとはこのことか、と感じるほど、鰻が美味しい。
味だけではなく、内臓から好きと言っているような感覚です。
そのとき必要としているものが好きになる。
人生で好きといえるものについて、その理由はなぜだろうと考えると
なかなかおもしろいですよね。心身の状態や、生き方まで見えてくるようで。
(鰻はただ単に疲れてビタミンBを欲しているのでしょうか??)
生き方の好み、人生観の変化
ものごとに対する考え方や、趣味嗜好、人の好き嫌いなど、
それも食の好みのように、年齢とともに、あるいは環境や自分の立場が
変わったときに変化するものです。
望む生き方、価値観。
自分は生きたい、こうありたいと望む姿。
私も、だいぶ変わりました。
自分の認識力や人生に求めるものが変わると、好き嫌いが変わるのは
もちろん、好き嫌いがはっきりする(はっきり言えるようになる)なと
思います。
私は、以前はいつも穏やかで、落ち着いた人でありたいと思っていました。
リーダーシップをとって、チームを引っ張る人になっていきたい、とも。
結局、そういう人に憧れていて、そうなれていなかったわけですが。
いまは、もっと凸凹、ごつごつしていていいし、丸く、落ち着いてなくても
いいかなと思っています。そして、人格的に、カラフルでありたいなと。
リーダーシップは別の人に任せて、マイペースで没頭したい。
組織の縦枠ではなく、個人ベースの横のつながりで生きたい。
(まあ、だいぶわがままで、実現可能な形はまだ見つかっていないのですが)
どれも「なりたい憧れ」と、自分にしっくりくる「なれる自分」、がわかり
変化したといことかなと思います。
感情を色濃く、カラフルに
自分の感情を、色濃くメリハリをつけていきたい、という願望があります。
以前より、好き嫌いがはっきりしてきましたが、まだまだ曖昧で、
ぼんやりしていることも多いです。
どっちでもいいかも、と思ったり、優柔不断な自分に対して、
ええい、何が好きなんだ、はっきりしろ!
とイラっとするときがあります。
何が好きか、嫌いか。
そこがはっきりしないと、人生の様々な場面で選択ができないですよね。
「鰻が好き」というのも、実は自分を表す大事なひとつの要素。
好きな色も、場所も、好きな道具も。
抽象的な価値観はもちろん、とるにたらないと思える具体的なモノ・行動の
趣味が、自分の人生の選択にあたっては有効になるのかもしれません。
好きなことをたくさん作っていき、
嫌いというものを明確にしていったら(わざわざ人に言うかはさておき)、
自動的に仕事をするならこういう人にこういうものを提供する、
こういう場所で生きる、こういう人とつながっていく、
という焦点が絞れるのかも。
好き嫌いに、正解不正解もないはず。
これからも、人生の方向性を定めるためにも、まだまだ曖昧な自分の好みの枠を、
よりクリアに、より広く深く掘り下げていきたいです。
【編集後記】
今日は振替出勤。しんとした事務所は落ち着きます。