私の住む地域では桜は散りつつあり、お祭りもそろそろ終わり。
満開の桜もいいですが、桜の花びらが舞う景色、散った花弁とアスファルトの
コントラストも美しいです。
本日は、私の本番は祭りの”前”にある、というお話です。
祭りの後は、寂しくない
イベント、お祭などの特別な日(時間)が終わると寂しい……
とは私は思わないです。
どちらかというと、日常に戻ることにほっとします。
子供の頃から、いわゆるお祭りは苦手でした。
居心地が悪いなと感じていました。
地元、近所のお祭りも、行きたくない。
にぎやかな空気に馴染めない。
お祭りが早く終わってほしいなと思っていました。
お祭り気分じゃないときに周りがにぎやかだと、余計に
遠ざけたくなってしまいます(ただのわがままかも)。
大人になっても、あまり変わっていないかもしれません。
気心の知れた人と、「催し」を楽しめるようにはなったけれど、
それより日常の方が落ち着くのは変わりません。
お花見にいって食べるお弁当より、なんでもない日に、近くの公園で
いつものお弁当を食べるほうがいいなと。
楽しい祭り=主催者になる祭り
そもそも、なぜお祭りが好きじゃないのか。
お客様として、受け身でそのお祭りを楽しませて”もらう”側だからかも。
実は、受け身ではなく自分たちが主催者となって作るお祭りは、楽しいのです。
これまで、納涼祭や縁日を、自前で仲間や家族と開催したことがあります。
・企画(どんなお店を出すか)
・制作(屋台設置、飾り、販売するものやゲームの準備)
・接客(当日お店に立つ)
全部自分たちで作る。そして、自分たちもそこで遊ぶ。
テーマを設けて、大人が本気で遊ぶ(作る)。それは、楽しいです。
楽しませてもらいに行くのではなくで、誰をどう楽しませるかを
考えて作っている方が好き、楽しい性分なのかなと。
準備段階こそ祭り(楽しみ)
特別な日、たった一日・一度の本番に向けて、準備をすることが、
自分にとっての本番、醍醐味です。
先ほどの自主開催のお祭りもそうだし、演劇の舞台を作ることもそう。
準備や作りこみの時間が一番濃密で楽しく、それが自分にとっての
メインディッシュです。
もちろん、本番でお客様に見てもらう、お客様からの生の反応を感じられる、
観客とステージの上の演者と、その両方があって初めて成立する感動があります。
本番も大事なのは確かですが……
もしも、準備も練習もなーんにもしなくてよい、ただ成功する本番だけあげましょう、
と神様(悪魔?)が特別待遇をしてくれるといっても、それはいらないなと思います。
え、それじゃあ一番オイシイところがないではないか!と。
だから、祭りの後の寂しさではなくて、祭りの「前」の寂しさがあります。
本場が来てしまうと、その楽しい準備が終わってしまうのが寂しいのです。
仕事でも、そんな風になれたらと思います。
成果物はもちろん大切。というか、それがなければ対価はいただけない。
完成して納品がメインではあります。
しかし、働く面白さや喜び、充実は、その成果物を生み出す、完成させるまでの
過程にこそある。そういう仕事ができたら、本当の意味で自分の仕事に誇りや
愛情を持てるのではないかと思います。
なんとか納期までに間に合わせることだけに必死。
早くこの案件を終わらせたいと思いながら仕事をする。
そういう、「終わらせたい」思いばかりの仕事は、長続きしないし、
やがて燃え尽きてしまうのは確かです。
どうしたらあの人(顧客)の役に立つか。
どうしたらあの人にとって嬉しい情報になるか。
どうしたらあの人の事業のプラスになるか。
そう前向きに思いながら、自分も面白がりながら依頼された仕事を
進めていく。もちろん、頭を悩ませたり、難しいこともあるけれど、
この時間こそ私の仕事のうま味がつまっている、と言える。
そんな仕事をしたいです。
【編集後記】
近くの藤棚の花が咲き始めていました。
藤の花が咲くと必ず思い出す友人がいます。
いまは離れていて会うこともないのですが、
5月初旬生まれて、花が大好きな子です。
藤の花の季節になると彼女の顔がぱっと浮かびます。
元気かな。