謝る圧に負けない

自分軸で生きる 生き方
スケジュールも、あくまでも自分軸で立てたい。

自分の正義や軸が危うくなるとき。
それは上から押さえつけられるときではなく、下手(したて)に出られたとき。

断ったら、謝られてしまった

自分の軸に反する頼みごとをお断りをしたとき。
相手が怒るよりぐらつくのは、謝られた場合です。私の場合。
正義を通したはずが、一転して不正義(悪者)になったように感じてしまいます。
謝らせてしまった……申し訳ない、とお詫びに歩み寄ったりしそうになります。

しかし、そこはぐっと耐えなくてはなりません。
正義や軸をぶらさず、条件を一部見直して合意に至れる場合は良いのですが、
自分の価値観において望まないことを引き受けてしまうときには、耐えます。

謝られてぐらついて、一歩でも二歩でも譲ってしまうと、自分の正義ではないこと
をしているという後ろめたさや、意欲がわかないまま取り組むことになります。
すぱっと断って受けない以上に、相手にも失礼になります。

謝るという圧をかけないように気を付ける

謝るという行為は、シチュエーションによっては、相手への圧になります。
私自身、優位な立場をとるような謝り方をしないように気を付けています。
言ったもん勝ちではないですが、謝ったもん勝ち、にならないように。
自分の軸を通すことは何も悪いことではないのに、謝り方しだいでは
軸を通し譲らない自分にも非があるのではないか?と思わせる力があります。

自分に非があったりミスをしたときに、隠れず言い訳せず謝ることは大事です。
結果的に優位に立ち相手をコントロールする謝罪との線引きは難しいです。
(意図的にしている場合は別ですが)
どちらも、自分が悪かったという気持ちから謝るのは同じだから。

圧となるのは、謝ることで
・非があった自分の立場から免れたいという気持ち
(無意識にそれ以上責められない弱い立場になる)
・謝るけれど結局要求を受け入れてもらいたい気持ち
が見え隠れするときなのかなと思います。

我欲をからめて謝るようなことをしないように、私も自分を律したいです。

短期的な「いい人」ではなく、長期的な「良き人」

その場その場で、相手の希望をすべて受け入れたら、一時的には喜ばれます。
耳の痛い厳しいことも言わない、
長期的にはその人のためにならないはずのことでも、ほいほいと引き受けてしまう。
相手にとってそれが「いい人」なのかどうか、怪しいです。

何より、そういう風に相手のペースで軸を持たないことで、自分自身がいつまで
たっても確立できず、ぐらぐらしたままで生きることになります。
自分に誇りが持てないなと思います。

謝られるにしても、怒られるにしても、呆れられるにしても、
相手がどんな風に出ようと自分の正義や価値観、軸に照らして
断るときは断る、ぐらつかない。そう生きていきたいです。

まずは、軸を磨いて。

【編集後記】
5月申告の資料の受け取り。
いよいよ、始まるなあと。
何がとは、あえて言葉にはしませんが……

 

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