資源の投下量に対して、より多くの成果物や価値を生み出すこと=生産性の高さ。
人生という広い視点で考えると、成果物や価値の範囲が幅広いなと思います。
自分がどんな価値を生み出す人間でありたいのか、考えてみます。
誇りをもって価値ある無駄を生み出す
お金で買えない価値がある。
なんてキャッチコピーがあったくらいで、
人生において価値あるものは、お金にならないものも多く、
また価値の基準も人それぞれです。
仕事における生産性の高さは、その会社なり事業の本業となる売上に
つながるもの(商品、製品、サービス)をどれだけ効率よく生み出したか、
となります。つまり、お金になるもの。
しかし、生産性を人生にあてはめると、
仕事でいう所の生産性の低さや無駄の中にも価値の高いものもあります。
・効率の悪くても面白い(あえて手間のかかることをする)
・特にお金にはならないこと
自分の人生で生み出したい価値は、誰かの基準で語れば本当にただの無駄にもなる。
誰かにとっては、せっせと無駄を生み出していると思える人生でも、
私の人生は生産性が高かった!と誇れる生き方をしたいです。
成長や将来のリターンだけが価値ではない
例えば私はフルマラソンを走りますが、そこに価値(好き、面白い、楽しい)
を感じない人にとっては、ただの時間と労力とお金の無駄遣い。
なぜお金を払って42.195キロ走るのか、と。
しかし、フルマラソンに価値を感じる人にとっては、人生を豊かにする価値の
高い時間になります。
その価値ある時間を生み出すために、練習時間やシューズの購入に資源(時間・お金)
を投下します。
フルマラソンを走って、体力がつく、精神力も鍛えられる。
そういった「成長」という価値もあります。
でも、もう少し単純に人生の価値や豊かさを感じたいなと私は思います。
その日一日、あるいはひと時の時間に、心が自由になったり、笑ったり、
全力で没頭して楽しんだり、それだけで十分価値あることだなと思うのです。
別の人からすれば、一時の娯楽、消費あるいは浪費に見えても。
お前は成長しているのか?価値を高めているか?
と自分に問い続けて生きるのは少し息が詰まります。
個々人の性格にもよりますが、私は成長や効率ばかりを自分に求めると、
しんどいです。
生産性の高い人生とは、将来に備えてより多くの自己投資をする人生ではなく、
毎日「あー今日も一日面白かった、幸せだった」と思って寝床につけること
かなと思います。それは、実はとびきり難しいことかもしれませんが。
何を生み出して生きて、死んでいくか
私は、お笑いが好きです。
演劇でも、コメディ要素があるものもよく見ます。
自分でお笑いを作るのは非常に難易度が高いのですが、
自分のパフォーマンスで人に笑ってもらえるというのは、私の人生にとって
かなり上位にくる「価値」です。
日常生活にある「笑い」は、それに対して誰がお金を払ってくれるわけでもなく、
自己成長のためでもなく、別になくても人生は回るけれど、
(私にとって)必要不可欠なものです。
自分が笑うことはもちろんですが、大事に思うのは誰かが笑ってくれること。
私の好きな言葉は「悲劇は喜劇」。
自分の悲劇(失敗や挫折や恥をかいたことなど)も、まな板の上にのせて、
お笑いの素材として客観的に料理する。
そして、その笑いが、誰かの心をちょっとだけ救う笑いになったらいいなと思います。
それこそ、私にとって生産性の高い人生です。
【編集後記】
月末につき出勤日。
土曜日出勤は、電話がほとんどならないので、快適です。
ここ数日は部屋が少し蒸し暑く、事務所の窓を開けて仕事をしています。