友人に言われて、心に残った言葉。
「あなたにとっては、ここがど真ん中の場所だよ」
ど真ん中、という表現に救われた思いです。
座りが悪い環境
わかりやすい敵がいるわけでもなく。
わかりやすいトラブルがあるわけでもなく。
なんとなく、ここは自分の心にとって座りが悪いな、
という環境や場所、状況というのがあります。
合わせようと思えば合わせられるかもしれないし、
合わせられない自分に問題があるのではとも思ってしまいます。
うまくやれない環境の中で、自分は社会不適合者なのではないか、、
大人として、社会人として著しく欠落があるのではないか、という
気持ちになってしまいます。
もし別の場所に行ったら、結局何度も「ここじゃないどこか」へ
逃げてしまうかもしれない。
ここで頑張るべきか。
あるいは、座りの悪いここではなく、座りの良い場所を開拓すべきか。
自分だと客観的な判断が難しいこともあります。
端っこに居続けるために頑張るのはナンセンス
判断が難しいときは、信頼のおける周りの人の意見を頼りにします。
そこで、冒頭の言葉。
「そこでうまくやれないからなに?ここが、あなたにとってのど真ん中だよ」
こう友人は言ったのです。
とても、落ち着いて、”夏は暑い”という位当たり前のことを言うように。
「ここ(仲間のいる場所、コミュニティ)がど真ん中だよ。
他でど真ん中でなくても、なにも問題ないでしょう?」
そうか、そうか。当たり前なのですが、いろんな環境に適合しなくては、
と思わなくてもよいのです。そもそもそれは自分には無理なことです。
ど真ん中という表現が、いいなと。
確かに、違和感や、ストレスを感じたり、座りが悪い環境というのは、
自分がその場のすごーく端っこの方に、かろうじて存在しているような
感覚です。ときには、半分はみ出ていたりもします。
彼女いわく、不安定で力も出せないぐらぐらの端っこをなんとかキープ
するために頑張るのは自分という人間の無駄遣い、意味がない、と。
確かに、いまにも落ちそうな端っこで、
「もうちょっと頑張ってみようかな」と座りの悪さが改善できる
まで粘ってみても、実際にそこが自分にフィットする場所になる
可能性は低いように思います。
ある種のアレルギーのように、特定の状況なり環境が良い悪いでもなく、
努力云々でもなく、どうしようもないことってあるなと。
反対に、価値観や空気、向いてる方向が同じだと感じられる環境では、
落っこちる心配がなく、本当に真ん中に心があるように感じます。
戦って築き守る、ど真ん中
適合できない場所に必死に適合しようとして時間もエネルギーもさき、
自分にとって大切な、既にある大切にすべき場所をないがしろにしては取り
返しがつかなくなります。
むしろ、自分にとってど真ん中の、座りのいい場所でいかに自分を使うか、
貢献するか、それを考えなくてはと思いました。
足元が安定してこそ、力を出せるというものです。
そして、自分が安定できる場所というのは、寝転んで美味しい実が落ちてくる
ようなものでもありません。
それは戦って築き、守る場所だし、自分だけではなく、そこを他の誰かにとって
の真ん中の場所にもできるように守る、それを成長させていくために戦う。
そういう努力というか、そういう頑張りは必要です。
合わない環境に合わせる努力ではなく、
開拓した居場所・環境を、今度は誰かのためによりよくしていくために
考える、動く。そのために、自分の時間もエネルギーも使いたいものです。
【編集後記】
今日は決算の数字の分析2件。
5期分の比較表を作成。
お昼のお弁当はおはぎ(あんことゴマ)。