Noと断れないのは、断ったことにより
相手の負担にならないか、相手が不快に思わないか、トラブルにならないか、
ということを考えるから。果たして、実際はどうなのでしょうか。
どこまでが”できます”の範囲なのか
新たな仕事を振られたり、あるいはすでに自分が抱えている案件について、
これはちょっと厳しいな、できるかな、と思うことがあります。
しかし、この「できるかな」の度合いが、
頑張ればできる、少し無理すればできる、というものだと、
どうしても断れません。
さすがに、120%(時間的、能力的に)できなければ、仕事なので
きちんと説明をして断るか、あるいは助けてもらうようにします。
でも、自分が時間を作れば終わるかもと思うと、Noと言えないんです。
で、その少し無理すればの範囲が、どんどん広がってしまうのです。
これは、一度掲げた「このくらいの頑張りならできる」というラインを下げたら、
自分が怠けているような気持になってしまうのですね。
こうして客観的に書いていると、その考えは違うなと思います。
そもそも、いつでもまったく料・質の仕事をできるかというと、
そうではないです。人は毎日、コンディションが変わります。
季節、年齢、仕事以外の予定、体調、などなど。
もちろん、コンディションを一定に保つのも、責任ですが、そのうえで、
いつでも同じだけのパワーを出せるかというと、それは難しいです。
今頑張っても大丈夫な範囲と、
来月頑張っても大丈夫な範囲は違う。
1年後もまた違う。
だから、一度できますといった仕事量を、次ちょっと今は難しいといっても、
構わないのです。が、言えないという。
あ、できないんだと相手にがっかりされる、落胆されたくない、
という妙な意地もあるのかなと思います。
自意識過剰ですよね。そんなに期待してないし、がっかりしないよ、と。
あとは、断った仕事が他の人にいくことで、その人が大変になるのでは?
と考えてしまったり。
私は、重要人物ではない
ここ半年ほど、このままでは自分の人生をきちんとコントロールして、
人生を構築していくことができないなと思いました。
断れずに悲劇のヒロインになっても、結局はだれの責任でもなく、
はい、やります。できます。といった自分の責任です。
心や時間に余裕がなくなり、自分の視野が狭くなると、
いまの仕事場、いま任されている仕事、いま関係を取っている人が、
自分の(ほとんど)すべての世界であるような錯覚に陥ります。
いやいやそんなことはない。
職場で私はそんなに重要人物ではない。と思うこと。
そしてそれは事実だということ。
私にとってこれはとても重要なキーワードです。
重要人物ではないけれど、私という一介の登場人物が果たすべき
適切な責任は果たす。
私にとってはその塩梅が難しいわけですが、いい塩梅を見極めたい。
雨降って地固まる。断って……?
いい塩梅を見極めるには、実践するしかない。
ということで、恐る恐る、小出しに、お断りや手伝ってもらいたいと伝える
ように練習中です。
まださらっと、適切にお願いすることは難しく、
頼んだ後、言ってよかったかな、大丈夫かな、と気になって仕方なかったり。
頼んだことを撤回しに行ってしまったり。
一時の精神衛生上は断らないほうが楽なのですが、長い目で見たら、その
楽は自分の首を絞めるので、申し訳ないっ!という気持ちをぐっとこらえる。
さて、断って、地固まるのか(物事は良い方向に行くのか)。
当たり前ですが、時と場合による。
とはいえ、今のところは少なくとも悪い方向にはいってなさそうです。
良い方向にいっているかどうかは、わからないです。
ただし、自分が勝手に大事(おおごと)にしていたほど、
その他の人に頼むことは大事ではないということは実感しています。
もちろん、その仕事のボリュームや、誰に振るかなど、状況によりますが、
意外と他の人は一定の余裕をもって仕事をしているのかな?と思いました。
一番余裕・余力がないのは、誰でもない”できます!”と言っていた私自身かも。
また、断るという選択肢がないと、最後の最後で迷惑をかける結果になる、
ということもあります。
子供のお使いではないので、やはり自分がここまでならできます、というラインを
常に把握していて、それを周りにも知っていてもらうことは大切ですね。
「断る」前に、全体が良いバランスで仕事を持てたら一番なのですが、
途中で気づくこともままあるので、そこは早めにSOSできるようにしていきたい。
ちょっと無理して頑張る、のが日常にならず、ここぞの切り札くらいになるよう。
そして、もしも、組織ではなく個人で仕事をしていたら?
無理だから誰かに振る、ということはできません。
組織にいるらといって誰かに頼める環境に甘えず、
自分が引き受けられる適正な仕事量や仕事内容を見極められる力を
つけていきたいものです。
【編集後記】
他の方のブログを読んでいて、この人の記事は必ず読みたい、
さかのぼってすべての記事を読みたい、という人が複数います。
そういうファンになる文章を書けるってすごいな、と思う毎日。
「すごい」という浅い表現になる自分が悲しいですが……。